【密輸団を追って】
(県 裕樹)

●お気に入りのお店
 カフェバー『ハイド』。潮風の香りが漂う港湾地区の海沿いに居を構える、小さな店である。
 雑居ビルの一部を間借りしての店構えではなく、キチンと独立した建物を持っている為、廊下を行き来する者の雑踏で雰囲気を壊される事も無い、静寂を愛する者にとってはこの上なく居心地の良い店として評判を集めている。
 カウンターの奥でコーヒーの香りを愛でながら、静かに佇むマスターは、やや薄暗い店内であるにも拘らず濃い色のレンズが入った眼鏡を着用している。眼の傷跡を見て怖がる客が居るからだと本人は笑っているが、その笑いには何となく影がある。

 店員たちも個性豊かだ。細面の男は漫才師のように軽口を叩きながらいつも明るく振る舞っている。厨房の中では大柄な男性がフライパンを握っていて、たまに目が合うとニコッと笑顔を返して来る。その巨躯に似合わぬ優しい笑顔は、まるで大樹にもたれ掛かるような安心感を与えてくれる。そして、最近入ったと思しき若い男女はどうやら恋人同士であるらしく、互いの失敗をフォローし合いながら二人三脚で頑張っている感じの初々しさを見せてくれる。

 僕はそんなこの店を大変に気に入り、仕事の合間の空き時間を利用して良くコーヒーを飲みに来る。因みに僕はこの店の近くの会社で働く営業マンだ。恋人? ……察して欲しいなぁ。そんなのが居たら、一人寂しくコーヒー飲みに出掛けたりしないと思わないかい? 因みに28歳独身、そろそろお嫁さんが欲しいお年頃だ。名前? そんなもの聞いてどうするのか知らないけど……村上基樹。普通に『モトキ』でいいよ。

 この店は夜はバーとして営業するのだが、昼間は喫茶・軽食を楽しめる店として機能している。飲食店の少ない土地柄と云う事もあってか、昼時などはドアの外に行列が出来る程の繁盛ぶりを見せている。たまには看板メニューのビーフカレーやオムレツを食べてみたいとは思うけど、あの行列に並んだ挙句、次の客に気を遣って急いで食べなくてはならない忙しなさを、僕は大変に嫌うんだ。だから専ら、僕が此処に来るのは昼下がりから夕方に掛けての空いている時間帯に限られる。

●何だと?
 そんな僕が、取引先でメッタ打ちにされ、足を引き摺るようにして帰って来た時の事だ。ぷぅんと香る、コーヒーの良い香りが鼻腔をくすぐる。そう、気付いたら『ハイド』の前まで来ていたのだ。
 そう言えばこの時間帯は喫茶店営業からバーにシフトする頃合い、アルコールも注文できるようになっている筈。僕は会社の近くまで帰って来ては居たが、上司に事を報告する事でこれ以上ダメージを喰うのを嫌って『直帰』の連絡を入れた。これで心置きなく酒が飲めるというものだ。
 ドアを潜ると、成る程。昼間とは違う雰囲気が漂っている。カウンターの周りに強い照明が集まり、他の客席は薄暗い間接照明で照らされたムーディーな感じになっている。これはいい、とばかりに僕は二人掛けのテーブル席に付いて、ウィスキーの水割りと軽いツマミをオーダーした。マスターのオリジナルブレンドであるそのウィスキーは、甘さと渋みを程よく掛け合わせた心地よい飲み口でグイグイと喉の奥へと入って来る。
 僕は傍を通り掛かった、金髪のウェイトレスに同じ物をもう一杯、と注文した。彼女は『ありがとうございます!』と極上の笑顔を僕に向け、カウンターへと向かって行った。
 暫しの静寂が訪れる。と、聞くつもりは無かったのだが、近くのテーブル席からの会話が耳に届いて来る。男二人が、何やら商談をしているらしい。僕も営業マンの端くれ、その癖のあるやり取りは聞き慣れている。
(ふぅん……御苦労さんだねぇ、僕はもう仕事上がりだから関係ないけどね)
 既にウィスキーを一杯、胃に入れている僕はその会話を鼻歌交じりに聴いていた。だが、良く良く聞くと何となく違和感を覚える。よほどの大口取引なのか、金額が膨大過ぎるのだ。しかしそれにしては、商品はどうやら小さな物らしい。トランク一つで数千万、というその不釣り合いな価格にギョッとした僕は、止せばいいのにその会話に聞き入ってしまった。
「では、俺は埠頭の倉庫街でその男を待っていれば良いんだな?」
「そうだ。男がこのリズムで靴音を鳴らしたら、それが合図だ。顔は見ず、トランクだけを受け取って金の入った鞄を置いてそのまま去れば良い」
 そして、奥の方から指でテーブルを叩く音が聞こえて来た。そのリズムを一回で暗記してしまった僕は、つい同じリズムを足で刻んでしまった。その直後、何故か商談はそこで終わりになり、程なくして男たちは去って行った。
 ウィスキーの追加が届いた時、先程のウェイトレスがコソッとメモを僕に手渡した。
『表玄関から出て行くのは危険です、裏口へご案内しますので会計後は店員に付いて繁華街まで脱出してください』
 ……僕は、聞いてはいけない事を聞き、やってはいけないアクションを取ってしまったのだろうか……とにかく一瞬で酔いは醒め、折角追加したウィスキーの味も分からなくなっていた。
 そして、二杯目のウィスキーを飲み干すと、僕はレジで会計を済ませ、そのメモに従って店員に付いて店の裏口から繁華街に抜ける小道を歩いていた。
「ね、ねぇ……あの男たちは何なんだ? まさか、ドラマなんかで良く見る……アレかい?」
「……運が悪かったですね。僕達には、あの男たちが貴方の顔を覚えていない事を祈るだけしか出来ません……」
「ま、まさか……そんなバカな!?」
「あの二人は今夜、大口の麻薬取引を埠頭で行う為の段取りを話していたんです。普通の商談に見せ掛ける為にビジネススーツを着て商品名も隠していましたが、見積もりを出した時に油断が生じたのでしょう」
「そして不幸にも、貴方がそれを聞いてしまった……」
 まだ若い、いつも笑顔を絶やさないカップルが僕の左右をガードしながら街灯りの見える場所まで送ってくれた。しかし、道中で聞かされたその話は決して笑える物では無かった。
「……取引が終われば、あの男たちはこの付近には来なくなる筈です……念の為にお聞きしますが、貴方はあの男たちの顔や声を覚えていますか?」
「声はまだ覚えてるけど……顔までは見えなかったよ。うっかり、あのリズムを繰り返してしまったのがまずかった、と云うのは何となく分かったけどね」
 その回答を聞いて、二人の若い店員は深刻な顔つきになる。それだけでも充分まずい、と云う事なのだろう。
「この先は、タクシーなどに乗って単独行動はしないよう……」
「な、何で君達は……そんな話を、落ち着いて出来るんだ?」
「……何にでも、表と裏がある……そういう事です」
 そう言って、若い店員たちは元来た道を引き返して行った。その姿が闇に紛れて見えなくなると、僕は一気に心細くなった。そして急いでタクシーを探して、表通りの歩道を小走りに伝っていた。が……
 誰かが僕の背後から声を掛け、その動きを封じるように周囲を数人の男が囲んでいる。酔ったサラリーマンを装っているが、僕の背後の男が僕の背中に押し付けている、棒状の固い物が何であるか……それは素人の僕にも直ぐに分かる事だった。下手に動けばその場で僕の人生は終わる……つまりはそういう事だった。そして僕は個人タクシーの行燈を付けた車に乗せられ、男達に連れ去られてしまった。

●しまった……
「チッ、ドジめ!」
「言うなトオル、あの客は酔っていたんだ。耳から入ってきたリズムを繰り返してしまっても不思議はない」
「スミマセン……タクシーに乗るまで、僕らが傍に付いているべきでした」
「いや、そうしていたらタクシーの運転手にも迷惑が掛かるところだったぞ」
 最後に聞こえたのは、マスター……いや、ホークアイ社長の榊の物だった。彼は眼鏡を外し、こめかみを押さえて軽く頭を振ると、やむを得ん……と云う感じの表情を浮かべ、携帯電話を操作し始めた。
「もしもし……あぁ、そうだ。私だ。済まないが警備部の……」
 本当に、嫌々ながらに連絡をしているのだろう。彼にしては沈んだその声色が、それを如実に物語っていた……


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