【俗世への未練】
(県 裕樹)

●またか!!
「虚空! これ、虚空はどうした!」
「和尚様! こ、虚空は、その……」
「……ふん、また寺を抜け出して、街へ出て居るのじゃろう? お見通しじゃ! 清空、奴が抜け出す兆しを見せたら、その場で取り押さえよ! いいな!」
「は、ハイ!」
 この『虚空』と呼ばれた小坊主は、修行僧の身でありながら頻繁に寺を抜け出し、街に出ては隙を狙って戻って来るという、戒めを守らない『生臭坊主』であった。
(やれやれ……虚空の奴、何をしに街に出ているのかは知らないが……俺はもう知らんぞ?)
 清空は、虚空の顔を思い浮かべながら呆れ顔を作った。だが、彼の行動を妨げる意思は無いようで、彼が何度戒めを受けようと、知った事では無い……という感じでマイペースを保ち続けていた。
(しかし、遊び歩いている様子も無いし、帰ってくる時はいつも疲れ果てたような……いや、獲物を取り逃がした残念さを感じているような……そんな雰囲気なんだよな)
 虚空を擁護するつもりは毛頭無いが、何をしているのかという事に少々興味が湧いた清空は、その理由を聞き出せない物かと画策を始めた。

●痛ェんだよ
「くぅ〜! あンのジジィ!! 目一杯引っ叩きやがって!!」
「オマエに非があるんだ、仕方あるまい」
 赤く腫れ上がった肩を氷嚢で冷やしながら、虚空は罰を受けた事に対して非難の声を上げていた。無論、禁を破って無断外出した自分に非があるのは分かっている。しかし、それにだってキチンとした理由がある。それを和尚は知っている筈なのに……と、彼は『納得行かない!』と云った風に文句を垂れるのだ。
「罰を受けるのは分かってる筈だろ? ほぼ毎日の事なんだから。そうまでして、どうして街に繰り出すんだ? オマエは」
「余計な事に首突っ込んで来んなよ、プライバシーの侵害だ」
「そうはいかん、俺はオマエの見張りを言い付かって居るんだからな」
「だからって、理由まで話してやる義務は無いぜ。放っといて貰いたいね」
 強情な奴だ……と、清空はまたも呆れ顔を作る。だが、虚空の心には『明日こそは必ず!』という、使命感に燃えた炎が燃え盛っていた。

●何してんだ?
 虚空への尋問を諦めた清空が廊下を歩いていると、鐘楼に向かう和尚の姿が目に付いた。夜も更けた今、鐘を突く刻限でもない。では何故に? と、彼はそっと気付かれぬよう気配を殺しながら、和尚の後をつけた。
「月の細い夜は扉の開く合図……」
(? 何言ってやがんだ、何かの合言葉みたいな……)
 墓石の影に身を隠したままで、清空は聞き耳を立てていた。
「生臭坊主、オマエもまだ修行が足りんな。まだあの小坊主に手古摺っているのか」
「ハイ……私めの説教では、最早聞く耳を持たぬ様子。全く改善する兆候が見られませぬ」
「ふん。まぁ良い、そんな話をしに来た訳じゃ無いからな」
 和尚が、何者かと会話をしている。が、その姿は清空の位置からでは見えない。
(何を喋ってやがんだ? 和尚を捕まえて『生臭坊主』だなんて……)
「丁度いい、あの小坊主で試してみるがいい。この警策には、打服をも貫通して肌に染み込む遅効性の薬物が仕込んである。あの小坊主程度の体なら、二発も打てば効果が表れる筈だ」
「これはこれは……そして効果が確認できたその時は、あの邪魔な大和尚をも……」
「そうだ。そしてそうなれば、この寺の台所は全てお前が牛耳る事になる。その暁には……」
「経営母体の移管、檀家よりの布施による収入を収める事も可能。そしてその見返りに……」
「分かっている。オマエを組織の幹部に取り立てる事、だろう?」
「御意に……」
 会話を聞いた清空は、愕然としていた。まさか仏門を束ねる和尚が、闇組織と繋がっていたとは……と。だが、それ以上に、彼にとってマズい事があった。そう、あの警策である。アレを虚空に使うという事は、即ち……
(冗談じゃねぇ! あの警策で2回叩かれたら、死んじまうって事じゃねぇか! 何とかしなくちゃ……)
 顔面蒼白になりながら、清空は『あんなモン、使わせてたまるか』と、和尚が眠った隙を突いて、普通の警策と摩り替えようと思案した。だが、普通の警策と全く見分けがつかない上、和尚がそれを何処に隠したかも分からない。驚いてないで、直ぐに後をつければ良かった……と、自らの間抜けさ加減に腹を立てていた。
(仕方がねぇ、明日は片時も和尚から目を離さず、見張っていよう。でないと、冗談抜きで命に関わる!)
 清空の目は真剣そのものだった。『警策で一回以上打たれなければ大丈夫』という最も基本的な防衛策を忘れて、邪道である『警策の略奪』を先に考えてしまったのである。嗚呼、未熟とは罪な事なり……

●やはりな……
 その会話を、清空とはまた別の場所から盗み聞きしていた者が居た。墓苑の片隅に建てられた、無縁仏の像の傍に腰を下ろす虚空と……警察の制服に身を包んだ若い男だった。
「……なぁ、今の話、本当かな?」
「和尚が例の組織と繋がっているのは、今の会話で確証が取れた。ただ、あの警策が言葉通りの物かどうかは、ちょっと……」
「まぁ、仮に本当だったとしてだ。あんなモンで叩かれちゃ洒落にならねぇんだが、何とかならねぇか?」
「難しいな……って云うか、要するにアレで叩かれなきゃ良いんだろ?」
 そりゃあまぁ、そうだが……と虚空は鼻の頭を掻く。だが、彼が警策で打たれない日など、今までに一日たりとも無かったのだ。明日、ぶっつけ本番でノーミスを狙うのは幾ら何でも難度が高すぎるぞと、警察官に対して異を唱えた。
「清空の奴が言ってたように、モノを摩り替えちまうってのは?」
「難しいだろうね。かなり大事な代物だ、厳重に保管するだろう。それに、本人だけに分かる目印を付けて、他の警策とごちゃ混ぜにされたら、流石に見分けは付かない」
 警策の略奪は難しく、打撃を回避する事も容易ではない。進退窮まった……と云う感じで唸り声を上げる二人。しかし、脱走さえしなければ『必ず叩かれる』事だけは回避できるのだ。
「……まぁ、明日は大人しくしてる事だな。どうせ、一日二日の違いでどうにかるという事でもないんだろ?」
「あのジジィが、一日大人しくしてたぐらいで諦めたと思う訳がねぇだろ! これから先、ずっとあの警策を使うに決まってるさ」
「はぁ……元はと云えば厄介な問題を抱えたまま入門たお前が悪いんだぞ? 仏門に入るなら、女性関係の清算ぐらい……」
「別れた後だったんだよ! だけど、俺はアイツに酷い事を言って、傷つけて……一方的に三行半を突きつけた咎人なんだ。これを償ってからじゃないと、とてもじゃないけど……心清らかな坊さんになんか成れないさ」
 そう。虚空は入門の数ヶ月前に女性とトラブルを起こし、その際に言葉の暴力で一方的に相手を傷つけ、結果としてそれが元で破局を迎える事になったのだ。そしてその後も悶々とその事だけを考え続け、雑念を打ち払う為の禅行をさせて貰うつもりでこの寺の門を叩いたのだが、説教を聞くうちに『このまま、弟子入りしちまうのも悪くないか……』と考えるようになったのだ。
「あれからもう2年も経ってるんだ、行方が分からなくなったって当たり前だろう」
「いや! 必ず足取りは掴めるさ。その為に彼女のツテをシラミ潰しに回ってるんだ、必ず捕まえてみせる!」
「相手の方でオマエさんを拒否して、嘘の情報を流していたとしたら?」
「それは……!」
 可能性を否定し切れないだけに、その一言は虚空の胸に深く突き刺さった。
「遠慮が無いねぇ……」
「こういう事は、ズバッと言っちまうのが互いの為なのさ。もう諦め……」
 そう言い掛け、虚空の方へと向き直った警察官は、彼の顔を見てギョッとした。先程の一言が余程ショックだったのか、彼は声を殺して涙を流していたのだ。
「……確かに、そうされても仕方の無いレベルの事を、俺はやっちまったんだ……けど! 全ての証言が嘘だったとするなら、今までの……俺の2年間は一体なんだったんだ!?」
「そ、それはだな……あー、もう! 分かった!! 何とかしてやるから、泣くな……大の男が、みっともない!」
「一言……たった一言でいい、謝りたいだけなんだ……それだけ叶えば、俺は全ての煩悩を捨てられる……」
「……その言葉、忘れるなよ! それと、これは貸しだからな! いいな!?」
 そう言うと、警察官は闇間に姿を消した。そして辺りは再び静寂に包まれ、そこには無縁仏の像があるだけだった。
「……幾ら警官でも、やって出来る事と、出来ない事があるだろう……増して、アイツは捜査権を持たない機動隊員……警備部の人間じゃないか! どうやって何とかしてくれるつもりなんだよ……」
 誰も居なくなった後の星空を、虚空は一人見上げていた。

●諦めな
 禅堂に戻ると、青い顔でウロウロしている清空の姿があった。
「何やってんだ、明日も早いぞ……勉強しねぇならサッサと寝ろよ」
「そ、それどころじゃねぇよ虚空! 邪気の篭った警策が……」
「大丈夫だよ、多分アレは開板までは使わねぇ。朝からやっちまったら、作務が出来なくなるからな」
「お、オマエ! 話を聞いて……!? こ、この野郎! こっちは、オマエのトバッチリで殺されるかも知れねぇんだぞ!?」
 すっかり動揺しきった清空の脳天に、虚空は思い切り拳骨をぶつけて彼を黙らせた。
「あぁ、確かにあの警策を使う切っ掛けを作ったのは俺だ。けどよ、この俺の脱走を指を咥えて見ていたオマエも、即ち同罪なんだぜ。あのジジィの事だ、そんな事を考えてるに違いねぇよ」
「そ、そんな……!?」
 言葉は乱暴だったが、まさに虚空の言う通りだった。和尚は既に、虚空の脱走を黙認していた清空も同罪と考え、同じ罰を与えるつもりでいたのだ。
「要するにオマエは、ジジィがオマエの事をうっかり2回引っ叩いちまいはしないかと、それが心配なんだろ? だったら、1人につき1回以上、叩かれなきゃいいだけの事だ。簡単じゃないか」
「か、簡単って、オマエ……」
「……いいか、落ち着いて良く聞けよ。あのジジィの目的は俺達じゃねぇ、大和尚の暗殺だ。俺達は只のモルモットに過ぎねぇ。だから何かしら因縁を付けて、叩きに来るに違いない。だが、1回目の打撃の後、苦しそうに演技をして気絶した振りでもしちまえば、効果に満足してターゲットを切り替える筈だ」
「……そ、そりゃあ理屈だが……もし演技がばれたら?」
「そんときゃ諦めるんだな。だが奴が本性表して暴れ出したら、それこそ思う壺よ。仏罰にしちゃあやり過ぎだと、他の和尚に訴える事が出来る」
 確かにその通りではあるが……と、清空はすっかり観念して横になっている虚空の顔を覗き込んだ。
「し、死んじまったら!?」
「……祈れ。ジジィにとっちゃ俺達小坊主なんざぁ虫ケラ同然、死んじまっても知らん顔でそこらに埋めて忘れちまうだろうさ」
 終わった……と云うような顔で、清空は念仏を唱え始めた。
(巻き込んじまって済まねぇ、とは思ってるさ……けどな、俺にとっては何にも替え難い、大事な問題だったんだ……もし、奴が上手くやってくれたら、謝ってやんよ……それまで、ゴメンなさいはお預けにさせてもらうぜ!)
 そして、虚空は覚悟を決めた感じで、清空は『片時も油断してなるもんか!』という意気込みで、それぞれ朝を迎えた。

●手掛かりは、っと……
 一方、こちらは虚空の願いを一身に背負って、手掛かりを探す警察官……早川優。いや、もとい。早川連。
(うーん……手掛かりがこの写真と、須磨幸代という名前だけでは、流石に苦しいな……データベースにアクセスすれば何とかなりそうだけど、生憎パスワードを知らないし……)
 彼はまず、彼女が当時通っていたという学校の卒業生名簿を洗っていた。だが、やはり書面に残された資料だけに頼っていては、埒が明かない。何しろ名前と卒業年次ぐらいしか手掛かりが無く、後はこの1枚の写真だけが頼りなのだ。
(やはり、学籍名簿を見てもダメね。この住所は実家の物。そこで聞き込もうにも、捜査権を持たない私の権限では……)
「……おい早川、何してんだ?」
「ヒっ!! ……お、脅かさないでくれ……あまり心臓、強くないんだ」
「わ、わりぃわりぃ……んで? 警備部のお前が捜査課のオフィスに入り込んで、何やってんだよ?」
 突然、背後から声を掛けられた連は驚いてしまった。然もありなん、その神経を殆ど、眼前の資料に集中させていたのだ。背後から近付く人影に気付かないのも、無理らしからぬ事だった。
「……実は、知人から頼まれて……人探しを……」
 同じ警備課の同僚・生馬寛に咎められ、素直に事のあらましから何からすっかり吐き出して、最後に寺の責任者と闇組織の繋がりを仄めかすと、生馬は『そんな面白れぇ事、一人でやってんじゃねぇよこの野郎!』と連の背をバンバンと叩き、仲の良い同僚に片端から声を掛け始めていた。そして中には、情報を求めて外部に連絡を取る者まで出始めたのである。
「……オマエ、何かってぇと一人で突っ走る癖あっけどさ。頼れよ、仲間だろ?」
「まさか、オマエの口からそんな台詞を聞く事になろうとはな……」
「ぬかせ!!」
 瞬く間に広まって行く情報ネットワーク。そして頼るべき仲間の存在を改めて知った連は、久々に心が温まった気がしていたのだった。


このシナリオに参加したい!

……そう思った方は、表題に『【エピ参加】』と明記の上、このフォームをご利用の上、ご応募ください。

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